ジョン・フィールド

ジョン・フィールド

作曲

1782 — 1837
1782年ダブリンに生まれる。ヴァイオリン奏者だった父に音楽の手ほどきを受け、神童として9歳のとき初めてのコンサートを開いている。1793年に家族と共にロンドンに移住し、クレメンティにピアノを師事した。彼とはその後たびたび演奏旅行も行った。 1803年、クレメンティに連れられてサンクトペテルブルクに移り、クレメンティが去った後もこの地に留まった。演奏家、教育者、そして作曲家として貴族のサロンで活躍する。トルストイの『戦争と平和』の中でも言及されるほど、彼の名は有名であった。 1812年から夜想曲を発表し始める。声楽的なメロディーとそれを包み込むような伴奏形が特徴のこのピアノ小品は、ショパンやリストをはじめとする多くの作曲家やピアニストに影響を与えた。 ほかにも7つのピアノ協奏曲や4つのピアノ・ソナタを含む多彩な作品を生み出す。教師としてもミハイル・グリンカを育てるなど、音楽家としての絶頂期を迎えた。 アルコールの過剰摂取がたたり、1820年終わりごろから癌に侵されるが、ヨーロッパにて演奏旅行を続ける。道中で何度も手術や入院を繰り返すが、1835年に、ロシア貴族の経済的支援を得てようやくロシアに帰国。晩年は生活も困窮し、1837年モスクワで54歳で死去した。