アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ

ピアノ

1920 — 1995
1920年、イタリアのブレーシャ地方の貴族の家に生まれた。はじめに習ったのはヴァイオリンだったが、すぐにピアノに切り替えた。才能にあふれていたのものの、神童としてキャリアを積んだわけではなく、1939年のジュネーヴ国際音楽コンクールでやっと注目を集めた。コルトーは当時19歳のミケランジェリを「リストの再来」と評した。戦後は1940年代にアメリカ・ツアーを行うなど、国際的に活躍し始める。圧倒的なテクニックと、美しい音色で聴衆を魅了した。 1988年、フランスでの演奏会の途中で心臓発作で倒れが、数か月後に復帰。チェリビダッケと共演を重ね、友情を築いた。アルゲリッチやポリーニをはじめ、多くの弟子も育てた。 1965年以降、数度にわたり来日。ピアノのコンディションや体調の不良を理由に日程や会場の変更や、キャンセルを繰り返した。 完璧主義で知られ、正規録音の数は極めて少なく、ドイツ・グラモフォンにおけるドビュッシー作品の録音が代表作である。 レパートリーも非常に限られていたが、ショパンやラヴェルにおける音色の豊かさや透明感は最大の魅力と言える。 1995年にルガーノで死去。