モービー

モービー

プロデューサー、作曲

ニューヨークのシンガーソングライター兼プロデューサーであるモービーは、90年代、エレクトロニック・ダンスミュージックの最も重要な人物の1人として活躍した。分野を超えた成功でエレクトロニック・ダンスミュージックのサウンドをメインストリームに押し上げたモービーは次の時代のスーパースターDJの先駆者となった。知名度はピークに達したが、匿名性の高いエレクトロニック・ミュージックというジャンルに公的な顔を立てていたことが物議を醸し、テクノ・ピュアリストからは蔑視されるようになった。モービーの音楽には、ディスコ・ビート、ヘビーで歪んだギター、パンクなリズム、ポップ、ダンス、映画のサウンドトラックから引用した細部にわたるプロダクションが融合している。クールで表面的なアンビエント・ミュージックや快楽的なハウス・ミュージックの世界観を異にするのは彼の音楽だけではない。彼のライフスタイルも同様である。敬虔なキリスト教信者であるモービーは、環境やビーガンに関する活動でも有名である。 本名リチャード・メルヴィル・ホール。モービーというニックネームは、彼の曾祖父ハーマン・メルヴィルが『Moby Dick』の作者であることから幼い頃に付けられたものである。コネチカット州ダリエンで育ち、10代のころはバチカン・コマンドスというハードコア・パンクバンドで活動した。大学に短期間通った後ニューヨークに移り住み、ダンスクラブでDJを始める。80年代後半から90年にかけて、いくつかのシングルやEPをリリースし、91年にはデビューシングル『モビリティ』のB面トラック〈ゴー〉をリミックスしたハウス系の主張の強いリズムでテレビシリーズ『ツイン・ピークス』のテーマを制作した。アップデートされた『Go』は英国でトップ10に入るサプライズヒットシングルとなった。続いて1995年の『Everything Is Wrong』で絶賛を浴びたモービーは米国のプレミアプロデューサーの一人となった。その後短期間パンク・ロックに転向し、ファンに対して他の音楽も聴かせた後、1999年の大ヒット作『Play』でクロスオーバー・ポップ・スターに転身した。当時から現在に至るまで、目もくらむような絶頂と谷底のような暗い魂の闇に満ちた、型破りな道を歩み続けてきたが、その中でも好奇心、葛藤、喜び、探求心を源泉とするアートの創造を決して止めなかった。現代音楽界で最も長く、最も特異なキャリアを持ち、2000万枚以上のアルバムを売り上げたにもかかわらず、彼はキャリアを持つという概念すら受け入れない。 裏庭や小さな劇場で飾り気の一切ないアコースティックライブを行うようになった彼はロサンゼルスでブライアン・フェリーのコンサートに参加した後、LAフィルハーモニックの出演契約交渉担当者から、同楽団との演奏への意向について尋ねられた。2018年、モービーはゴスペルのフル合唱団、グスターボ・ドゥダメルの指揮、さらにはエリック・ガルセッティ市長のピアノでオーケストラ・デビューを飾った。そのステージ裏でドイツ・グラモフォンの担当者からオーケストラ・アルバム制作を持ちかけられたモービーは、そのアイデアに飛びついた。パンクバンドでの演奏や独自のエレクトロニックミュージックの作曲をするようになる前、元々彼はクラシック音楽を聴いて育ったのだ。 『Reprise』は、モービーがこれまでに生み出してきた主要な音楽を再訪する機会であり、その特異な人生とキャリアに対するプルースト的ラブレターであり、また彼を予想外の聴衆と場所に連れて行った作品群に対するオマージュでもある。ハンガリーのブダペスト・アート管弦楽団との共演により再創造されたモービーの名曲たち。新バージョンでは、より控えめに、遅く、弱い表情にアレンジされた曲もあれば、オーケストラならではの誇大表現を利用したものもある。彼のキャリアが30年を経た今、『Reprise』は最大ヒットというよりも、異なる環境や文脈に適応する芸術のあり方について考える機会となることであろう。

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