アストル・ピアソラ

アストル・ピアソラ

作曲

1921 — 1992
ピアソラは、アルゼンチンのマル・デル・プラタに1921年に生まれた。4歳のころ一家でニューヨークに移住し、そこで父親にバンドネオンを買い与えられる。バンドネオンはアルゼンチンの音楽には欠かせない楽器であった。10年後に一家は再びアルゼンチンへ戻り、ピアソラはプロとしてタンゴのオーケストラで演奏する。同じくアルゼンチンの作曲家ヒナステラに音楽理論を学び、ピアノ・ソナタ (1945年)などクラシカルな作品を書いた。その後パリにてナディア・ブーランジェに師事する。これがピアソラのキャリアを大きく変える出会いとなった。モダン・クラシックやジャズの要素とタンゴを融合させた「Tango Nuevo」という独自の音楽形態を生み出す。 パリから帰国後は自身のアンサンブル集団を率いてアルゼンチンにて演奏を行うが、その前衛的な音楽は、「踊れないタンゴ」として保守的なタンゴの愛好者から厳しく批判された。しかしその後も形を変えながら自身の楽団を多く結成し、演奏活動を行う。 1990年パリの自宅で脳溢血により倒れ、1992年ブエノスアイレスの病院にて71歳で死去した。ピアソラの代表作品としては、リベルタンゴやオブリヴィオンなどのタンゴの音楽、バンドネオン協奏曲、そして歌劇《ブエノスアイレスのマリア》などが挙げられる。