エリック・サティ

エリック・サティ

作曲

1866 — 1925
1866年、フランスに生まれる。1879年にパリ音楽院に入学するが、2年半で退学。在学中に《ジムノペディ》や《グノシエンヌ》を作曲する。 1890年、モンマルトルに移住する。オーベルジュ・デュ・クルというカフェ・コンセールで知り合ったドビュッシーと、生涯にわかる親交を結ぶ。また、薔薇十字団とも関係を持ち、いくつかの小品を書き残している。同一音型を繰り返す《ヴェクサシオン》も、この頃に作曲した。 1898年、アルクイユに移住。《犬のためのぶよぶよとした前奏曲》、《梨の形をした3つの小品》など、奇妙な題名の作品を発表し続ける。1905年には、スコラ・カントルムで作曲の勉強をやり直す。しかし「変わり者」の風評は、変わることがなかった。 1917年初演のバレエ音楽《パラード》は、彼に転機をもたらした。コクトーやピカソと共作した同作は、一大スキャンダルを巻き起こし、サティを一夜にして有名人にした。音楽には、サイレンやタイプライターなどの騒音や現実音が用いられている。 1925年、アルコールが原因の肝硬変により、59歳で死去した。