フランツ・シュミット

フランツ・シュミット

作曲

1874 — 1939
現ブラチスラヴァにあたるプレスブルクで1874年に生まれる。1888年に家族でウィーンに転居し、ウィーン音楽アカデミーでオルガン、ピアノ、チェロそして作曲を学んだ。また、短期間ブルックナーにも師事した。その後ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のチェロ奏者となり、指揮者であったマーラーや室内楽仲間のシェーンベルクと出会う。しかしシュミットの作曲的方向性は彼らとは全く異なり、後期ロマン派の要素を多く取り入れた、伝統を引き継ぐものとなっている。 作曲家としてのシュミットは寡作で、大衆的人気を得るには至らなかったが、最初の2つの交響曲で作曲家としての地位は確固たるものとした。1914年に初演された歌劇《ノートルダム》ではその印象を決定づけた。 第一次世界大戦後は母校の教授となり、1927年には院長に就任した。その傍らで作曲も続け、室内楽や、シューベルトの要素を取り入れたとされる交響曲第3番などを発表。 プライベートは決して幸せではなく、娘が生後間もなく亡くなったり、政治的圧力が強まったりしたことは、交響曲第4番 (1934年) や、オラトリオ《7つの封印書》(1938年) に暗い影を落とした。 1937年に体調の悪化から音楽アカデミー院長を辞職、その2年後に死去した。