フーゴー・ヴォルフ

フーゴー・ヴォルフ

作曲

1860 — 1903
オーストリアのヴィンディッシュグレーツ (現在のスロヴェニア) に1860年に生まれた。父親に音楽の手ほどきを受けたのち、ウィーン音楽院に入学。同時期マーラーも在籍していたが、ヴォルフは1877年に、おそらくいたずらが原因で退学処分となった。その後ピアノ教師と評論家として、なんとかウィーンで生活を続ける。 1881年11月から数か月、ザルツブルクで合唱指揮者を務める。このころ既に約50曲の歌曲や合唱曲「アイヒェンドルフの詩による6つの宗教的な歌」(1881年) を作曲している。1884年からはウィーンの週刊誌で音楽評論を担当した。妥協のない評論が特徴で、ある程度名が知られるようになった。 1887年からは作曲に専念。作曲家として名声を得るようになった。1891年の終わりにはメーリケ、アイヒェンドルフ、ゲーテなどの詩へ作曲し、最高傑作を次々と生み出した。1895年には舞台音楽《ソールハウグの宴》といくつかの合唱作品を生み出し、翌年には歌劇《お代官様》が初演されて成功を収めた。 1897年に梅毒の症状が出て、精神病院に入れられる。4か月後に退院するものの自殺を図り、自らの意思で病院に戻って、精神異常のまま5年間を過ごした。42歳で死去。