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Haydn: Symphonies Nos. 85 "La Reine", 86 & 87

Haydn: Symphonies Nos. 85 "La Reine", 86 & 87

The Hanover Band, ロイ・グッドマン

収録時間80分

エステルハージ宮廷に隠遁生活を送っていたにもかかわらず、ハイドンの音楽は18世紀、早くも1770年代にはロンドンからカディスに至るまで、ヨーロッパ全土に広まりました。彼の作品は特にパリで高く評価され、彼自身の作品や彼の名を冠した他の作曲家の作品が数多く出版されたことがそれを物語っています。しかし、国際的な著作権がなかったため、こうした広範な流通は彼にほとんど経済的な利益をもたらしませんでした。それでもハイドンは、特にパリからの委嘱を受ける機会を逃しませんでした。そのような委嘱の一つが、82番から87番までの6つの有名な「パリ交響曲」の創作につながりました。

18世紀のパリの音楽活動は、様々な団体によって組織されていました。特に、オリンピック・コンサートは、オーストリアでは得られない機会を大規模なオーケストラによって提供していたため、ハイドンにとって重要な存在でした。この協会は、クロード=フランソワ=マリー・リゴリー(ドニー伯爵)の指導の下、6曲の交響曲を委嘱しました。ル・シュヴァリエ・ジョゼフ=ブローニュ・ド・サン=ジョルジュもこの委嘱に関わっていました。

ハイドンは当初、出版社アルタリア社に交響曲を特定の順序で出版するよう依頼していました。しかし、おそらく経済的な理由から、この順序は変更されました。交響曲は1787年のオリンピック・コンサートシーズンに初演され、大絶賛を浴び、その後、コンセール・スピリチュエルでも好評を博しました。マリー・アントワネット王妃は特に交響曲第85番に魅了され、「ラ・レーヌ」(王妃)という愛称で呼ばれました。

交響曲はチャリティ販売で大きな成功を収め、ハイドンの革新的な作曲スタイルもあって広く認知されました。交響曲第86番と第87番は、それぞれ卓越した和声的・旋律的創意工夫によって際立っています。その複雑な構成と表現力はハイドンの類まれな才能を際立たせ、彼を偉大な作曲家としての地位を確固たるものにしました。