アンリ・デュパルク

アンリ・デュパルク

作曲

1848 — 1933
1848年、パリに生まれる。フランクの最初の弟子のひとりとなり、作曲を学ぶ。普仏戦争に従軍後、サン=サーンスと親交を結んだが、ふたりは《ワルキューレ》の初演を観るために、一緒にミュンヘンに旅行した。ビュシーヌを含む3人で、国民音楽協会を設立。チェロソナタ (1867年) 完成後、少数のピアノ曲とふたつの短い管弦楽曲、17曲の歌曲を作曲する。30代半ばで神経症を発症し、プロとしての活動をあきらめざるを得なくなった。その後スイスに住み、文学と絵画をたしなんだが、作曲も細々と続けている。 自己に厳しく、ほとんどすべての作品を破棄してしまっているため、残された作品は40にも満たない。しかしとりわけ歌曲作品は、フランス語による芸術歌曲の最高峰としてきわめて高い評価を得ている。 20世紀に入ると徐々に視力を失い、1911年の夜想詩曲《星たちへ》の改訂が、現在確認できる最後の作品である。 フランス南西部にて、1933年に没した。