アントニン・ドヴォルザーク

アントニン・ドヴォルザーク

作曲

1841 — 1904
ドヴォルザークは北ボヘミアの出身で、父や祖父が音楽好きだったようである。プラハのオルガン学校へと通い、その後ヴィオラ奏者として活動する。 1865年に初めての交響曲を作曲し、1870年には最初の歌劇《アルフレート》を書き上げた。このころワーグナーに影響を受けており、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のプラハ初演にも刺激を受けている。 1870年半ば、ブラームスの目に留まり、これがドヴォルザークの作曲家としてのキャリアを決定づけるものとなった。彼の紹介により、大手出版社のジムロック社より「モラヴィア二重唱曲集」を出版し、成功を収める。 1880年代には交響曲第5番、スラヴ舞曲集、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲などが作曲され、ヨーロッパやアメリカのコンサートでは定期的に取り上げられるようになった。イギリスとの関係が確立された時期でもあり、同地で交響曲の初演や出版などを行っている。 1892年に、ニューヨークの国立音楽院の学長に就任。アメリカでの生活は、交響曲第9番《新世界より》や弦楽四重奏曲《アメリカ》等の作品に反映されている。その後、アメリカの経済状況と自身の体調の悪化から、周囲の説得にもかかわらずアメリカを去る。 チェコに戻ってからは、プラハ音楽院で教鞭をとるかたわら、オペラの作曲に取り組むようになる。こうして書かれた《ルサルカ》の初演は、大成功を収めた。 1904年脳出血により死去し、葬儀は国葬として営まれた。