ダニエル・ホープ

ダニエル・ホープ

ヴァイオリン

ダニエル・ホープの音楽づくりに見られる濃密さと人間性、芸術的探求への情熱は稀に見る水準にある。イギリス出身のヴァイオリニスト、ホープの音楽性の叙情と洞察は、愛好家、初心者を問わず、聴衆の心を掴み、心を刺激する。ホープは1973年、南アフリカのダーバンに生まれた。生後6カ月のころ、父であり著名な小説家、詩人、反アパルトヘイト活動家のクリストファー・ホープが、南アフリカに二度と戻らないことを条件とする出国ビザを取得し、一家でパリ、続いてロンドンへと移住した。母エレノアはヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインの秘書となり、その後マネージャーとなった。ダニエルは幼児期にメニューインの孫たちと遊び、彼の影響を受けて、イギリスで最も優れた若手音楽家向け教師の一人として知られたシーラ・ネルソンにヴァイオリンを習うようになった。1984年にロンドンの王立音楽大学に入学し、その後、王立音楽院で学んだ。プロとしてのキャリアをスタートさせたのは1990年代で、1992年から1998年にかけてはザハール・ブロンの指導を公式に受けた。 1999年にレコーディング活動を開始し、その多様なスタジオレパートリーにより、同世代で最も個性的で魅力的なヴィルトゥオーゾの一人としての名声を確立する。2002年にはボザール・トリオの史上最年少メンバーとなり、2年後のクラシック・ブリット・アワードでは年間最優秀ヤング・アーティストに選ばれた。また、アルフレート・シュニトケ、ハリソン・バートウィッスル、武満徹からソフィア・グバイドゥーリナ、ロクサンナ・パヌフニクまで、多くの作曲家と活動を共にし、30以上の新曲を委嘱、初演している。協奏曲のソリスト、リサイタル、室内楽奏者として呼び声の高いホープは、カーネギーホール、ウィグモアホール、アムステルダム・コンセルトヘボウからBBCプロムス、ザルツブルク、タングルウッドまで、名高いコンサートホールや音楽祭に出演を重ねている。 2007年にドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、ヴァイオリン協奏曲ホ短調の原典版を含むメンデルスゾーン作品のアルバムでイエロー・レーベル・デビューを飾った。また同年、テレジン強制収容所に収監されたユダヤ人作曲家の作品を集めたアンネ・ゾフィー・フォン・オッターのアルバムに、シュルホフの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを録音している。個人、コミュニティ、国家を隔てる壁を壊したい思いを原動力にした音楽活動家を自認するヴァイオリニストである。彼のプロジェクトにより、ナチスによって殺害された音楽家の運命、憎悪と偏見の影響を受けた音楽家以外の人々の物語、歴史に顧みられなかった作曲家の優れた芸術に関心が集まっている。第一次世界大戦開戦100周年の記念としては、当時の歌、兵士となった詩人たちによる言葉、ガブリエル・プロコフィエフの新しいバイオリン協奏曲を組み合わせたプロジェクトにも取り組んだ。 現在ドイツのWDR3チャンネルでは毎週ラジオ番組に出演し、4冊の書籍でドイツ語圏でのベストセラーを達成し、ウォールストリートジャーナルやドイツの政治文化月刊誌キケロにも定期寄稿を行うなど、その活動は広範囲に及ぶ。その功績が認められ、2015年の欧州文化賞(音楽部門)や、ドイツの民間最高栄誉賞である連邦功労十字勲章を授与されている。音楽には人々に物を考えさせる力があるという信念から、2016年にベルリンのコンツェルトハウスで、演奏と、文化界や政界から招いたゲストによるディスカッションを織り交ぜた四半期に1度のサロンイベント「Hope@9pm」を立ち上げた。また同年にはチューリッヒ室内管弦楽団、2018年にはサンフランシスコの新世紀室内管弦楽団の音楽監督に就任し、初となるヨーロッパ・ツアーを指揮した。翌年にはドレスデン聖母教会史上初の芸術監督に就任し、2020年にはベートーヴェン250年祭の中心的文化施設、ボンのベートーヴェン・ハウスの新総裁に就任した。 グラミー賞への数々のノミネートに加え、2017年に『For Seasons』で「Classical without borders」賞を含むエコー・クラシック賞を7回受賞したほか、ドイツ・レコード批評家賞、Prix Caecilia、ディアパソン・ドール年間賞、エディソン・クラシック賞特別賞も受賞している。またライブ演奏のできなかったロックダウン期間中は、ベルリンの自宅に地元在住のアーティストを招いて開催した室内楽コンサートを、世界中の音楽愛好家に向けてライブ配信した。ホープの演奏楽器は、ドイツの匿名の家族から譲り受けた1742年製グァルネリ・デル・ジェス(元リピンスキー所有)である。