ラン・ラン

ラン・ラン

ピアノ

ラン・ランは1982年、中国・瀋陽に生まれた。テレビアニメ「トムとジェリー」で、トムがリストのハンガリー狂詩曲第2番を演奏しているのを見たラン・ランに、父はその音楽性を伸ばそうと、3歳の誕生日の直後に初めてピアノを習わせた。2年後、ラン・ランは瀋陽ピアノ・コンクールで優勝し、最初のリサイタルを開いた。1991年に北京の中央音楽学院に入学し、趙屏国教授に師事した後、1993年に北京で開催された星海全国ピアノコンクールで1位を獲得した。日本で開催された若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールでの優勝から2年後に父親とともにフィラデルフィアへ移り、名門カーティス音楽院にて、元天才児で世界最高のピアノ教師のひとりであるゲイリー・グラフマンに師事した。 1999年、シカゴ交響楽団の「世紀のガラ」コンサートで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を代役で演奏し、国際的なキャリアを飛躍的に伸ばすことになった。このセンセーショナルな演奏をきっかけに、一流オーケストラや世界の名だたる会場からの出演依頼が次々と舞い込むようになった。2001年にはカーネギーホール、BBCプロムス、ウィグモアホールでデビュー。ダニエル・バレンボイム、グスターボ・ドゥダメル、サイモン・ラトルら指揮者とのパートナーシップは息の長いものとなっている。2008年の北京オリンピックでは開会式への出演で圧倒的な知名度を手に入れた。同年、ユニセフの親善大使として教育振興のための慈善団体、国際音楽財団を設立した。2009年には、バラク・オバマ米国大統領のノーベル平和賞授賞式で演奏し、2012年にはバッキンガム宮殿で行われたエリザベス2世のためのダイヤモンド・ジュビリー・コンサートに参加した。2013年からは国連平和大使を務め、2015年にはハバナ市の500周年記念事業の一環として、伝説のキューバ人ピアニスト、チューチョ・バルデースと共にハバナの異なる音楽文化の架け橋となる活動を行った。翌年には、バチカンで開催された信仰とスポーツの世界会議において、ローマ教皇フランシスと来賓のために演奏した。 息をのむような名人芸、洗練された音色、ドラマチックで力強い演奏で、聴衆、評論家の多くを魅了してきたラン・ランのピアニズムは、個性と想像力溢れるメイピアニストの時代を思わせ、聴衆を強烈な感情と叙情的な陰影の世界へと誘う。クラシック音楽の枠を超え、ピアニストのハービー・ハンコック、ファレル・ウィリアムス、メタリカらともコラボレーションを行っている。 その芸術と世に影響を与える活動により、ラン・ランは、2010年のダボス会議クリスタル賞受賞、世界経済フォーラムヤング・グローバル・リーダー250人への選出、中華人民共和国文化部最高賞、ドイツおよびフランスの芸術文学勲章受賞と、多くの賞や栄誉に輝いている。グラミー賞にノミネート経歴も持つ彼は、クラシック・ブリット・アワード・ブリット・アワード、エコー・クラシック・ブリット・アワード賞受賞歴も複数回におよび、2019年2月には中国の音楽家として初めて、ヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック クラシック部門を受賞した。