フランツ・レハール

フランツ・レハール

作曲

1870 — 1948
1870年にハンガリーで、ドイツ人の両親のもとに生まれた。プラハ音楽院で学び、ドヴォルジャークからも助言を受けた。 音楽家としてのキャリアは、バーメン=エルバ―フェルト劇場で首席ヴァイオリン奏者を務めたことから始まる。その後12年間にわたり、軍楽隊で演奏した後、ウィーンでオペレッタ作曲家としてデビューする。この分野の最初の作品は、1896年にライプツィヒで初演された《ククーシュカ》だが、それほどの注目も浴びなかった。1905年に発表した《メリー・ウィドウ》で一躍人気を獲得。オペレッタの歴史の中でも最も成功した作品となった。 その後徐々に作風を変え、喜劇でありながらシリアスな展開を軸とする、独自のスタイルを確立した。また管弦楽法も非常に華麗で、チェレスタやバラライカなどの珍しい楽器を含めて作曲した。 ヒトラーが《メリー・ウィドウ》のファンであったことから、レハールの妻がユダヤ人の生まれであったにもかかわらず、ナチスから庇護を受けた。同作品や《微笑みの国》(1929年) は現在でもオペレッタ作品の重要な柱に位置付けられている。 1948年別荘を構えていたザルツブルク近郊のバート・イシュルで亡くなった。