エクトル・ベルリオーズ

エクトル・ベルリオーズ

作曲

1803 — 1869
1803年、フランス生まれ。フルートやギターを習ったのち、20歳でパリ国立音楽院に入学する。はじめは医学の道を志したため、作曲への転向は遅かったが、活動の初期から重要な作品を生み出す。「荘厳ミサ曲」(1824年) や「ファウストからの8つの情景」(1829年) のほか、ローマ賞応募のためにも作品を書き上げる。ローマ賞は、4回目の挑戦でやっと受賞した。その直後、すでに完成していた「幻想交響曲」(1830年) の初演が大成功を収め、ベルリオーズは脚光を浴びる。 しかし、ローマ留学後は歌劇《ペンヴェヌート・チェッリーニ》(1838年) の初演失敗を機に、パリでの人気は下がり始め、膨大な借金も抱えることになった。1842年、状況の打開を狙ってドイツ、ウィーン、プラハ、ロシアへ、指揮活動を伴う演奏旅行を行った。旅の間も作曲は続け、序曲《ローマの謝肉祭》(1843年)、劇的物語《ファウストの劫罰》(1846年) などを完成させた。 1848年2月革命によって劇場が閉鎖されると、作曲活動を中断。評論と執筆活動に従事する。しかし、合唱と大管弦楽のための《テ・デウム》(1849年) を秘密裏に作曲しており、この作品は1855年のパリ万博で初演された。 1856年、フランス学士院会員となりようやく安定した収入を得られるようになるが、妻と息子に先立たれて孤独な晩年を送る。60歳で作曲活動に終止符を打ち、1869年にパリで65歳で死去した。