サー・コリン・デイヴィス

指揮

1927 — 2013
伝統的に、指揮者として成功するための第一歩は、歌劇場の稽古で歌手のためにピアノを弾くコレペティトールとなって修業を積むことだった。 だがコリン・デイヴィスは、別の道を選択した。 彼は1927年に英国のサリーで生まれ、6人の兄弟と電気がない環境で育った。 大おじの支援で、ウェスト・サセックスのクライスト・ホスピタル・スクールに入学したデイヴィスは、在学中に先輩からの勧めでクラリネットを演奏し始め、ついにはロンドンの王立音楽院でクラリネットを学ぶ奨学金を得た。しかし、ピアノが弾けなかったため、指揮法を履修することができなかった。そのため彼は、代わりに幾つかのアンサンブルを結成して友人たちを指揮し、後の輝かしい国際的キャリアの第一歩を踏み出した。彼の初期の功績として、チェルシー・オペラ・グループの設立が挙げられる。この団体は今日まで、知名度の低いオペラ作品をコンサートで演奏してきた。 デイヴィスは、程なくしてBBCスコティッシュ交響楽団などのプロのオーケストラと共演した。 初の大仕事は、1958年のサドラーズ・ウェルズの歌劇場での《後宮からの誘拐》の指揮であり、以来彼は、長い年月にわたりモーツァルトの音楽と関係を深めていった。続いて、エディンバラ音楽祭、グラインドボーン音楽祭に出演。1959年に初めてロンドン交響楽団を指揮し、サドラーズ・ウェルズの歌劇場の首席指揮者にも任命され、1961年には同歌劇場の音楽監督になった。1967年、BBC交響楽団の首席指揮者に就任。海外での活動も増え、国際的な評価を高めていったデイヴィスは、1972年にボストン交響楽団の首席客演指揮者に就任した。1983年にバイエルン放送交響楽団の音楽監督のポストを得、1990年にはドレスデン・シュターツカペレの名誉指揮者になり、生涯この称号を保持した。また、1998年から2003年までニューヨーク・フィルハーモニックの首席客演指揮者も務めた。 コンサート指揮者としての華々しいキャリアと並行して、デイヴィスのオペラ指揮とベルリオーズへの情熱はレコード愛好家たちの注目を集め始めた。彼は、史上初の《トロイアの人々》全曲録音 (今日もなお歴史的名演とみなされている) を含む、ベルリオーズの全ての主要な作品を録音し、これによってグラミー賞 (2回) 、クラシック・ブリット・アワード、『グラモフォン』誌のグラモフォン・アワード (最優秀オペラ録音部門) に輝いた。またヴェルディの《ファルスタッフ》の録音で、自身3度目のグラミー賞を受賞している。デイヴィスは1995年、ロンドン交響楽団の首席指揮者に就任し、同団史上、最も長くこの任にあった。同年、ロイヤル・フィルハーモニック協会からゴールド・メダルを贈られた。ロンドン交響楽団への献身と並行して、コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ、BBC交響楽団、イギリス室内管弦楽団とも特別な関係を築き、王立音楽院とギルドホール音楽演劇学校で多くの若い演奏家や指揮者を指導した。デイヴィスは、1965年に大英帝国勲章コマンダー (CBE) を受勲し、1980年にナイトに叙任された。イタリア、フランス、ドイツ、フィンランドなど、外国でも受賞の栄誉に浴した。2001年、エリザベス2世女王陛下の誕生日にコンパニオン・オブ・オナー勲章を受勲し、 2009年12月にクイーンズ・メダル・フォー・ミュージックを贈られた。2012年にはデンマーク女王からダンネブロ勲章を授与されている。2013年、85歳で逝去。