ヨハネス・ブラームス

ヨハネス・ブラームス

作曲

1833 — 1897
1833年、ハンブルク生まれ。コントラバス奏者であった父親から音楽の手ほどきを受け、その後ピアノと作曲を本格的に習い始める。 1853年にハンガリーのヴァイオリニスト、エドゥアルド・レメーニと演奏旅行に出、ヨーゼフ・ヨアヒムと知り合い、才能を賞賛される。また、ヨアヒムの紹介でシューマン夫妻に知り合う。ブラームスの演奏と作品に感銘を受けたロベルトは、新音楽時報でその才能を絶賛した。ロベルト、そしてクララとの交流は生涯続くことになる。 1862年にウィーンを訪れたのをきっかけに、ジングアカデミーの指揮者として招聘される。その後、1868年に完成したドイツ・レクイエムで、作曲家としての評価を確立した。 1871年にウィーンに移住。その10年後に、交響曲第1番を完成する。これは、約19年の準備の後に完成させた労作だった。しかしその後の3曲の交響曲は、1885年までの比較的短い期間で書き上げた。 1878年から度々イタリアに赴き、そこで作曲を行うようになる。 1890年頃にキャリアを終える決断をするが、91年にクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏に触発され、クラリネット三重奏曲 (1891年)、クラリネット五重奏曲 (1891年)、2つのクラリネットソナタ (1894年) を書き上げる。また、「7つの幻想曲」op. 116 (1891年)、「4つの小品」op. 119 (1892年) 等のピアノ小品、歌曲集「4つの厳粛な歌」(1896年) などの傑作を生み出した。 1897年、クララ・シューマンの後を追うように肝臓癌で死去した。