マヌエル・デ・ファリャ

マヌエル・デ・ファリャ

作曲

1876 — 1946
1876年スペイン南部カディス生まれ。幼少時はピアニストの母親から手ほどきを受け、のちにマドリード音楽院に入学。ホセ・トラゴにピアノを師事する傍ら、フェリーペ・ペドレルに作曲も習った。ペドレルとの学びは、ファリャにスペイン民族の音楽の基礎を植え付けた。このころすでに最初の歌曲、室内楽曲、そしてピアノ曲を作曲しているが、ファリャの名が最初に知られるきっかけになったのは歌劇《はかなき人生》(1904年) だった。 1907年にからパリにうつり、ピアノ教師として働く傍ら、フランス印象派の作曲家たちと交流する。ドビュッシーやラヴェル、アルベニスらと親交を結んだが、第一次世界大戦勃発をきっかけにマドリードに戻ることとなった。帰国してからは、ピアノと管弦楽のための《スペインの庭の夜》(1915年) 、バレエ音楽《恋は魔術師》(1915年) 、《三角帽子》(1917年) など、ファリャの代表作となる作品を多く生み出した。スペイン民族主義と印象主義をうまく融合させた、独自の作風を生み出している。その後グラナダに移り住んでからは、クラヴサン協奏曲 (1926年) など、古いスタイルの中で実験的な試みもしばしば行った。 スペインの内戦が始まると、ファリャは演奏旅行の途中でアルゼンチンに亡命した。1964年にコルドバで死去し同地に埋葬されたが、翌年遺体はスペインに戻された。