パブロ・エラス=カサド

パブロ・エラス=カサド

指揮

パブロ・エラス=カサドは、交響曲・オペラの膨大なレパートリーを誇り、古楽オーケストラと共演し、現代作品にも取り組むなど、並外れて多様で幅広いキャリアを築いてきた。その音楽家としての評判は、彼が世界中の名門オーケストラと長期にわたり育んでいる質の高い関係に反映されており、毎年、新たな繋がりと刺激的なプログラミングを展開し続けている。 エラス=カサドは、1977年に警察官と主婦の息子としてグラナダで生まれた。彼の音楽の旅は、その7年後に両親の勧めで小学校の合唱団に入団した時に始まった。直後にピアノを習い始め、上達を見せた彼は、グラナダ音楽院で音楽を学ぶようになる。グラナダ大学で芸術史も学び、修士課程では演劇コースを履修した。またグラナダのストリート・シアター・カンパニーのメンバーとして貴重な実践経験を積み、コンテンポラリー・ダンスの作曲家として楽才を発揮した。 幼少期に16世紀の教会ポリフォニーに感銘を受けたエラス=カサドは、1994年に、ルネサンス音楽をレパートリーとする室内合唱団カペラ・エクサウディを設立。後に古楽器奏者のグループを加え、同合唱団の音楽的地平を広げた。また若き日のエラス=カサドは、歴史に埋もれていたアンダルシアのバロック音楽を研究し、演奏を通じて多くの優れた楽曲を現代に蘇らせた。彼は1990年代半ばに、古楽合唱団ザ・シックスティーンの創設者であるハリー・クリストファーズの下で指揮を学んだ。そして現代音楽や前衛音楽の指揮の腕を磨くため、マドリード近郊のアルカラ大学とグラナダで自身のアンサンブルSONÓORAと活動し、クリストファー・ホグウッドにも師事した。2000年代の初めに、スペイン放送交響楽団とグラナダ市管弦楽団との共演でデビューし、絶賛を博す。2002年、グラナダ・バロック管弦楽団を設立。2004年、ダニエル・バレンボイムのウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団と共演し、翌年にオルケスタ・デ・ジローナの首席指揮者に任命された。また、ベルリン・ドイツ・オペラとパリ・オペラ座の副指揮者も務めた。エラス=カサドは、18世紀のスペイン宮廷のために作曲された音楽を探求し再興させるため、古楽器オーケストラであるコンパーニャ・テアトロ・デル・プリンシペを共同設立する一方で、2007年のルツェルン・フェスティバル・アカデミーでピエール・ブーレーズから指導を受けた。エラス=カサドは、ルツェルン・フェスティバルの指揮者コンクールでシュトックハウゼンの《グルッペン》を振り、優勝している。 エラス=カサドの国際舞台での躍進は、2008年にニューヨークのカーネギー・ホールでアンサンブルACJW(後にアンサンブル・コネクトに改称)を指揮した時に始まった。その後すぐさま、イギリス国立青少年管弦楽団との共演で英国デビューを果たし、ロサンゼルス・フィルハーモニックとリヨン国立管弦楽団とも初共演した。2011年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にデビュー。現在、客演指揮者として引く手あまたのエラス=カサドは、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団、パリ管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と定期的に共演を重ねている。また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、マリインスキー劇場管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団、シカゴ交響楽団、ピッツバーグ交響楽団、ミネソタ管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、モントリオール交響楽団も指揮している。 オペラの分野では、2008年にコンパーニャ・テアトロ・デル・プリンシペを率いてボッケリーニの《慈悲深い女》を上演し、世界初録音も行った。イングリッシュ・ナショナル・オペラ、ウェールズ・ナショナルオペラ、マドリードのテアトロ・レアルへのデビューは、いずれも絶賛され、後のオペラ指揮者としての活躍に繋がった。その好例として、バーデン・バーデン祝祭劇場でのドニゼッティ《愛の妙薬》、ベルリン・ドイツ・オペラとフランクフルト歌劇場でのヴェルディ《リゴレット》・《シチリアの晩鐘》、サンクト・ペテルブルクのマリンスキー劇場でのファリャ《はかなき人生》、ラヴェル《スペインの時》、ビゼー《カルメン》、そしてカナディアン・オペラ・カンパニーでのジョン・アダムズ《中国のニクソン》の指揮が挙げられる。2013年、エトヴェシュのオペラ《エンジェルス・イン・アメリカ》の米国西海岸初演でロサンゼルス・フィルハーモニックを指揮し、《リゴレット》でニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューを果たした。 2011年から2017年まで首席指揮者を務めたニューヨークのセントルークス管弦楽団とは、カーネギー・ホールで共演し、レコーディングも残した。『ミュージカル・アメリカ』誌の「コンダクター・オブ・ザ・イヤー」と、国際クラシック音楽賞の「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」に選出されている。ドイツ・グラモフォン(アルヒーフ・レーベルからアルヒーフ大使に任命された)、デッカ、ソニー・クラシカルでレコーディングを行ってきたエラス=カサドは、ドイツ・レコード批評家賞(2回)、ディアパゾン・ドール賞(2回)、ラテン・グラミー賞など、多数の賞に輝いている。ロドリゲス・アコスタ財団の名誉メダル、アンダルシア・メダル、およびアンダルシアの大使賞を贈られている彼は、グラナダ評議会の名誉大使であり、同評議会から功労金メダルを授与されている。故郷グラナダ州の名誉市民でもある。フランス共和国の芸術文化勲章シュヴァリエも受章。 熱心な教育者でもあるエラス=カサドは、世界中の若い音楽家たちと関わることを自身の責務とし、ユース・アンサンブルやプロジェクトに定期的に関与している。とりわけ、カラヤン・アカデミー(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のプロジェクト)、ジュリアード音楽院オーケストラ、ジュリアード415アンサンブル、RCOヤング(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のプロジェクト)、ソフィア王妃音楽院、バレンボイム=サイード財団、アンダルシア・ユース・オーケストラ、全コーカサス・ユース・オーケストラ、グスタフ・マーラー・アカデミーで指揮を行った。またスペインの慈善団体「Ayuda en Acción」の献身的なグローバル・アンバサダーとして、同団体の活動の支援と普及に国際的に取り組んでいる彼は、マドリードのテアトロ・レアルでの慈善演奏会を毎年指揮している。