オリヴィエ・メシアン

オリヴィエ・メシアン

作曲

1908 — 1992
フランス南部のアヴィニョンで1908年に生まれる。8歳で作曲の勉強を始め、最初のピアノ曲を作曲。11歳のときパリ国立高等音楽院に入学し、和声法、伴奏法、オルガン、そして作曲など、可能な限り多くのクラスに在籍した。 音楽院卒業後はサントトリニテ教会のオルガニストに就任し、その後60年以上務める。 第二次世界大戦が始まるとメシアンも召集され、ドイツ軍の捕虜となった。《世の終わりのための四重奏曲》(1940年) は捕虜収容所内で作曲・初演された。 釈放されてパリに戻ると、1941年からはパリ国立音楽院で教鞭をとり、ブーレーズやシュトックハウゼンを始め、数多くの若い作曲家に影響を与えた。また、《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》(1943年) や《神の臨在のための3つの小典礼曲》(1944年) が初演され、賛否を巻き起こした。 1945年以降はキリスト教的な題材を離れ、トリスタン三部作や、独奏楽器のための実験的な作品が生み出される。その後本格的に鳥の歌を扱い始め、ピアノ曲《鳥のカタログ》(1958年) や管弦楽曲《クロノクロミー》(1960年) などを発表した。 1960年代からは作品が長大化し、キリスト教的な主題に立ち戻った。混声合唱と独奏楽器、オーケストラのための《我らが主イエス・キリストの変容》や唯一の歌劇《アッシジの聖フランチェスコ》などはカトリックへの深い信仰を示している。 1992年83歳で死去した。