フランシス・プーランク

フランシス・プーランク

作曲、オーケストレーション

1899 — 1963
1899年、パリで有名な製薬会社の家系に生まれる。跡取りとしての期待をかけられために音楽学校に行くことを許されず、音楽はほぼ独学で学んだ。プーランクは、作曲を正式に学んでいない事実に、後年まで悩んでいたという。アヴァンギャルドの芸術家たちと交流を持つようになり、ジョルジュ・オーリックとエリック・サティを作曲の師とするようになった。 1917年、《黒人の狂詩曲》でデビュー。その後オーリック、オネゲル、ミヨーらと「フランス6人組」を組むようになる。やがてバレエ音楽《牝鹿》(1923年) やチェンバロ協奏曲《田園のコンセール》(1927年) で作曲家としての立場を確立する。 1930年代には、歌曲を集中して書くようになった。またミサ曲ト長調 (1937年) 等の宗教的合唱曲や、オルガン協奏曲 (1938年)といった精神性の高い作品を発表。当初の軽妙な作風を覆した。 作曲家として活躍する一方、ピアニストとしても積極的に演奏活動を行った。バリトン歌手のピエール・ベルナックとは、長い期間にわたって共演を続けた。また蓄音機の重要性をいち早く認識し、多くの録音を行った。 また1953年には、ミラノ・スカラ座の依頼で歌劇《カルメル会修道女の対話》を作曲し、絶大な成功を収めた。 1963年に、心臓発作で死去。