ヘンリー・パーセル

ヘンリー・パーセル

作曲

1659 — 1695
パーセルは1659年に生まれ (推定)、幼い頃に聖歌隊で音楽の基礎を身に付けた。 1677年には、国王の専属作曲家に就任。その2年後にはチャペル・ロイヤルのオルガニストにも就任し、音楽家としてのキャリアを確実に築いていく。 いくつかの要職を兼任する傍ら、12のトリオ・ソナタやヴァース・アンセムなどの多彩な作品を生み出し、充実した年月を送る。1688年には、歌劇《ディドとエネアス》を作曲。この作品は、バロック・オペラの最高傑作と見做されている。以降、セミ・オペラ《ダイオクリージャン》、《アーサー王》、《妖精の女王》など、主に劇場用の音楽を作曲する。 1624年、エリザベス1世の崩御に伴い、葬送歌を作曲。しかし8か月後、パーセルも36歳で死去し、自身の葬儀でも同じ葬送歌が演奏された。。死因についてははっきりしておらず、早世のため後継者にも恵まれなかった。 パーセルの人生についてわかっていることは非常に少ない。しかし、彼ほど生前から名声を博した作曲家は珍しく、彼の作品は今日まで影響を与え続けている。