サー・サイモン・ラトル

サー・サイモン・ラトル

指揮

サー・サイモン・ラトルは、1955年にリヴァプールで生まれ、ロンドンの王立音楽院で学んだ。1974年、ジョン・プレイヤー国際指揮者コンクールで優勝し、ボーンマス交響楽団とボーンマス・シンフォニエッタの副指揮者に就任した。1977年のグラインドボーン音楽祭へのデビューに続いて、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団と頻繁に共演。1979年にロサンゼルス・フィルハーモニックを振り北米デビューを飾った後には、クリーヴランド管弦楽団、シカゴ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、トロント交響楽団、ボストン交響楽団に客演した。1980年には、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者およびアーティスティック・アドヴァイザーに就任。1985年、ニューヨークおよびイングリッシュ・ナショナル・オペラにデビュー。1990年にはコヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラにデビューした。同年、ラトルはバーミンガム市交響楽団の音楽監督になり、1998年までその任にあった。ラトルの同団との18年にわたる傑出した活動に敬意を表し、サウス・バンク・ショー・アワードは彼にアウトスタンディング・アチーヴメ ン ト賞を授与した。 ラトルはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・兼・芸術監督に任命され、2002年にその地位に就いてからは、同団の日本ツアー、 ザルツブルク復活祭音楽祭への出演、再度のアジア公演 (ソウル、上海、香港、台北、東京) 、アムステルダムのコンセルトヘボウとニューヨークのカーネギー・ホールでの演奏会などを率いた。 音楽教育活動に並々ならぬ力を入れているラトルは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協力で、画期的な教育プログラム「Zukunft@Bphil」を立ち上げた。同プロジェクトにより、ラトルはコメニウス賞、シラー特別賞 (マンハイム市) 、ゴールデン・カメラ賞、ウラニア・メダルを贈られた。 ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、2004年にユニセフ親善大使にも任命されているが、芸術団体の親善大使就任は史上初である。 ラトルは長年にわたり、ロンドン、ヨーロッパ、アメリカの主要なオーケストラと良好な関係を築いている。当初からロサンゼルス・フィルハーモニックおよびボストン交響楽団と頻繁に共演していた彼は、最近ではフィラデルフィア管弦楽団との関係をより深めており、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を定期的に指揮してもいる。エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の首席アーティストであり、バーミンガム・コンテンポラリー・ミュージック・グループの創設パトロンでもある。ラトルはこれまで数々の録音を行い、国際的な賞を幾度も受賞している。イギリスのチャンネル4が制作したラトルのテレビ番組シリーズ「Leaving Home」は、英国映画テレビ芸術アカデミー (BAFTA) のベスト・アーツ・プログラム・オア・シリーズ(最優秀芸術番組/シリーズ) 賞に輝いた。2017年、ロンドン交響楽団の音楽監督に就任。 ラトルは、音楽への傑出した貢献と熱心な教育・社会活動に対して大英帝国勲章 (CBE) を受章。エリザベス2世女王陛下の誕生日の叙勲者リスト発表によりナイトに叙任された。『BBCミュージック・マガジン』のアウトスタンディング・アチーヴメ ン ト賞の初受賞者となり、ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツからアルバート・メダルを贈られた。 また、オーストリア政府から科学・芸術名誉十字章勲一等を、ベルリン州政府からメリット勲章を、ロンドン市から名誉市民の称号を、女王陛下からメリット勲章を、それぞれ授与された。