オットリーノ・レスピーギ

オットリーノ・レスピーギ

作曲

1879 — 1936
1879年ボローニャ生まれ。音楽教師だった父からピアノやヴァイオリンの手ほどきを受け、1891年からボローニャ高等音楽学校でヴァイオリンとヴィオラを学んだ。卒業後はロシア帝国劇場管弦楽団に入団し、2シーズン在籍。ロシア在住中にはリムスキー=コルサコフに管弦楽法を学んだ。 1903年から1908年にムッジェリーニ五重奏団で第1ヴァイオリン奏者を務めたのち、1913年からはローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアで作曲を教える。交響詩《ローマの噴水》(1917年) の初演は嘲笑を買ったものの、トスカニーニ指揮の再演が大成功し、もっとも有名な交響詩の一つとなった。1924年からは同校の院長となり、以降12年間務める。多忙な日々を送りながらも、交響詩《ローマの松》や《ローマの祭り》をはじめ自作品の発表を続けた。 また、レスピーギはイタリアにおける古楽の復興にも寄与しており、17世紀のイタリア音楽を熱心に研究した。古いリュートのための曲をオーケストラや弦楽合奏のために編曲した「リュートのための古風な舞曲とアリア」は、その研究が実を結んだ作品である。ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲《グレゴリオ聖歌風》(1921年) や「ミクソリディア旋法の協奏曲」(1925) など、古い旋律様式や音楽形式を近代的に用いた作品も生み出した。 1936年にローマで死去。