ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

指揮、チェロ、ピアノ、編作

1927 — 2007
1927年旧ソヴィエトに生まれる。父はチェリスト、母はピアニストだった。7歳でチェロを始め、モスクワ音楽院でチェロと作曲を習った。国内外のコンクールで受賞を重ね、早くからその名が知られるようになった。卒業後は母校で後進の指導に当たる。 1955年に歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤと結婚。ピアニストとして彼女のリーダーアーベントをたびたび伴奏しており、当時ソ連国内で最もよく知られた音楽家夫婦であった。 1960年代からは指揮者としても活動を始め、そこでもガリーナとしばしば共演した。 自由な文化活動への発言や、作家ソルジェニーツィンの保護などから、ソヴィエト政府と対立し、1974年にアメリカに亡命。1977年から1992年までワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督を務めた。また、ロンドン交響楽団とのつながりも強く、多くの共演を果たした。 またチェロ奏者として多くの作品を録音しており、カラヤン指揮のドヴォルザークのチェロ協奏曲、ルドルフ・ゼルキンとのブラームスのチェロ・ソナタ、マルタ・アルゲリッチとのショパン、エマーソン弦楽四重奏団とのシューベルトの五重奏曲などを遺した。 2007年80歳で死去。