アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー

アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー

作曲

1871 — 1942
1871年にウィーンに生まれ、1884年から1892年までウィーン音楽院でピアノと作曲を学んだ。ブラームスからの後押しを受け、ジムロック社からクラリネット三重奏曲 Op. 3 (1896年) などを出版。また同じころにシェーンベルクと出会い、親しい友人となった。 1899年にウィーン・カール劇場の楽長に就任し、指揮者としてのキャリアも築きはじめる。1904年から1911年にはウィーン・フォルクスオーパーの首席指揮者を務めた。生前は卓越した指揮者として、とりわけモーツァルトのオペラの上演で評価された。 1911年からはプラハ・ドイツ国立劇場の指揮者に転任。そこで自身の歌劇《フィレンツェの悲劇》(1916) や、現在でも最もよく演奏される「抒情交響曲」(1923) の初演を叶えた。1927年からはベルリンのクロル歌劇場において、オットー・クレンペラーの元で指揮者を務めた。1933年にウィーンに戻るが、その後アメリカに亡命。知名度がなく経済的に困窮したツェムリンスキーは、いわゆるポピュラーソングに分類される英語歌曲の作曲を余儀なくされた。 病気がちだったこともあり、亡命後に残した作品はわずかで、1942年ニューヨーク郊外で死去した。