ワレリー・ゲルギエフ

ワレリー・ゲルギエフ

指揮

マリインスキー劇場の芸術総監督であるワレリー・ゲルギエフは、その傑出したリーダーシップによって同劇場の公演を45ヵ国で率い (ロシア最高のオペラ作品とバレエ作品を上演するのみならず、ショスタコーヴィチとプロコフィエフの全交響曲や、ワーグナーの《ニーベルングの指環》全曲も演奏) 、輝かしい歴史を誇る同劇場に全世界が賛辞を浴びせた。 ゲルギエフは、モスクワで生まれ、レニングラード (現サンクトペテルブルク) 音楽院でイリヤ・ムーシンに指揮を師事した。24歳の時、ベルリンで開催されたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮者コンクールで優勝。1年後の1978年にマリインスキー劇場でプロコフィエフの《戦争と平和》を指揮し、デビューした。1988年にマリインスキー劇場の音楽監督に任命され、1996年に芸術総監督に就任した。ゲルギエフは2年後、ゲオルク・ショルティ本人からの指名で、ワールド・オーケストラ・フォア・ピースの指揮者にショルティの後継として就任。2003年、サンクトペテルブルク建都300周年祭で指揮した。同年、マリインスキー劇場管弦楽団を率いてカーネギー・ホールのシーズン・オープニング演奏会に出演。ロシア人指揮者がこのような栄誉に浴したのは、チャイコフスキーが1891年に同ホールの杮落としコンサートを指揮して以来、初である。2009年にマリインスキー劇場の自主レーベルが発足。同レーベルへの最初の二つの録音はグラミー賞の5部門にノミネートされた (『鼻』のベスト・クラシック・アルバム部門、ベスト・オペラ・レコーディング部門、ベスト・オーケストラ・パフォーマンス部門、エンジニア部門、プロデューサー部門) 。 国外でも精力的な活動を展開してきたゲルギエフは、バイエルン国立歌劇場、コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ、メトロポリタン歌劇場など、世界屈指のオペラ・ハウスとの協力を続けており、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロサンゼルス・フィルハーモニック、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ボストン交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など、多くの名門と共演している。1995年から2008年までロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(現在は名誉指揮者)を、2007年から2015年までロンドン交響楽団の首席指揮者を歴任。その後、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。 ゲルギエフは、「百夜の星」音楽祭、モスクワ復活祭音楽祭、ロッテルダム・ゲルギエフ音楽祭、ミッケリ音楽祭、ミュンヘンの「360度」音楽祭といった名高い国際音楽祭の創設者・監督である。2011年からは、チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長も任されている。また、若い音楽家たちへの支援を称えられ、ヨーロッパのグラスヒュッテ・オリジナル音楽祭賞を受賞した。ゲルギエフの主導により、全ロシア合唱協会が復活。これに属すロシア児童合唱団が、マリインスキー第2劇場、ボリショイ劇場、ソチで開催された第22回冬季オリンピックの閉会式で演奏した。2013年からアメリカ・ナショナル・ユース管弦楽団を率いているゲルギエフは、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭、ヴェルビエ音楽祭、パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)のユース・オーケストラとも定期的に共演している。マリインスキー劇場は2015年から、サンクトペテルブルクの児童オーケストラやユース・オーケストラが参加する音楽祭「マリインスキーNEXT」を毎年開催している。 ゲルギエフは、その目覚ましい音楽および社会活動により、ロシア政府から国家賞を3回授与され、ロシア人民芸術家の称号、ロシア労働英雄の称号、アレクサンドル・ネフスキー勲章を贈られた。さらにアルメニア、ドイツ、イタリア、オランダ、ポーランド、フランス、日本の各国政府からも名誉ある賞や勲章を与えられている 。ユネスコからアーティスト・オブ・ザ・ワールドの名誉称号も贈られた。サンクトペテルブルク国立大学芸術学部の学部長であり、モスクワ国立大学から名誉博士号を、サンクトペテルブルク音楽院から名誉教授の称号を授与された。 エディンバラ国際音楽祭の名誉プレジデントでもあり、ロシア連邦大統領府文化芸術評議会の委員も務めている。