ニコライ・リムスキー=コルサコフ

ニコライ・リムスキー=コルサコフ

作曲

1844 — 1908
1844年、ロシア帝国ノヴゴロド近郊で生まれる。軍人貴族の家庭であり、リムスキー=コルサコフ自身も海軍兵学校に通っていた。ピアノとチェロを学んでいたが、バラキレフに出会ってから作曲に打ち込むようになる。交響曲第1番 (1865年) 、管弦楽曲《サトコ》(1867年) などは、海軍在籍中に完成された。 作曲は、独学とロシア五人組でのグループレッスンのみだったにも関わらず、1871年サンクトペテルブルク音楽院の作曲家教授に任命される。最初の数年間は、知識不足を補うため、和声法や対位法を熱心に学んだ。グラズノフやストラヴィンスキー、レスピーギらに指導しており、卓越した教師だった。 海軍吹奏楽団やロシア交響楽演奏会で指揮者としても活動し、バラキレフが設立した無料音楽学校の教師や、宮廷礼拝堂の副楽長も務めた。こうして幅広い楽器の特徴を学んだリムスキー=コルサコフは、それを駆使して管弦楽曲「スペイン奇想曲」(1887年) や交響組曲《シェヘラザード》(1888年) を作曲した。 ロシアの近代化の遅れに批判的だったリムスキー=コルサコフは、1905年に政府批判のため音楽院の教授を解雇されるが、彼を慕う同僚の相次ぐ辞職により、結果的に復職した。 ヨーロッパ中から招聘されて演奏旅行を行い、とりわけフランスでもその音楽は好まれたが、そのツアーから母国に戻った1908年に死去した。