ジャン・シベリウス

ジャン・シベリウス

作曲

1865 — 1957
1865年、フィンランドに生まれる。スウェーデン語を話す家庭だったため、シベリウスがフィンランド語を学び始めたのは11歳の時であったが、民族抒情詩『カレワラ』と、祖国の自然に幼い頃から魅了されていた。 早くからヴァイオリンや作曲で才能を示し、ヘルシンキ音楽院に入学。その後もベルリンとウィーンで勉強を続け、『カレワラ』から着想を得た「クレルヴォ交響曲」を作曲する。1892年に自身の指揮で初演し、センセーショナルな成功を収めとなり、シベリウスの名はヘルシンキ中に知られることとなった。 生活のため、ヘルシンキ音楽院で教鞭を取っていたが、1898年に政府から成金を受けられることになり、以降は作曲に専念する。1899年には、交響詩《フィンランディア》、交響曲第1番を作曲。帝政ロシアの支配下で愛国心を高めていたフィンランド国民の間で、高い人気を獲得した。また、ドイツやフランスなどに演奏旅行を行い、各紙で絶賛されて国際的な名声を得た。 今日では、ヴァイオリン協奏曲や7曲の交響曲が広い人気を博している。しかし第7番を作曲した後、事実上を作曲の筆を折った。交響詩《タピオラ》を完成させた後、第8番の作曲を開始しているが、結局完成することはなかった。以後死までの約30年間、シベリウスはまったく作品を発表することがなかった。 1955年、90歳の誕生日を盛大に祝った後、2日後に脳内出血で死去した。