クルト・ヴァイル

クルト・ヴァイル

作曲

1900 — 1950
1900年、デッサウのユダヤ人家系に生まれる。1918年からベルリンの音楽大学で学び、その後ベルリン芸術アカデミーにてフェルッチョ・ブゾーニにも師事している。ブゾーニとの学びは、ヴァイル自身のスタイルを確立させと、彼の音楽の社会的立場について熟考のきっかけを与えるものとなった。主に左派の演劇界隈で働くようになり、そこでのちの妻となる、歌手で俳優のロッテ・レーニャ、そしてヒット作品を共に生み出す重要なパートナー、ベルトルト・ブレヒトと出会う。 2つの交響曲 (1921年、1934年) 、ヴァイオリン協奏曲 (1925年) などのクラシック作品も発表しているが、1927年からブレヒトとの共同作業を始め、1928年には『三文オペラ』を生み出した。この政治的風刺を扱った演劇への音楽は、ヴァイルのもっとも成功した作品となった。その後も『マハゴニー市の興亡』(1930年) や『7つの大罪』(1933年) など、ブレヒトとの共作を次々と発表する。 ナチスから危険視されるようになり、1935年妻と共にアメリカへ移住。映画やミュージカルのために作曲するようになる。ミュージカル『レディ・イン・ザ・ダーク』(1940年) は大きな成功をもたらした。また、ヨーロッパのオペラとアメリカのミュージカルを融合させた「アメリカ的オペラ」の制作に力を入れ、『街の風景』(1947年) や『ロスト・イン・ザ・スターズ』(1948年) はその代表作品となっている。 1950年、ニューヨークで心臓発作のため死去した。