グスタフ・マーラー

グスタフ・マーラー

作曲

1860 — 1911
1860年,ボヘミアの小さな村カリシュトに生まれる。そのあとイーグラヴに移住し、幼いころからアコーディオンやピアノを弾いていた。15歳でウィーン音楽院に入学し、在学中数々の賞を受賞。その後、カッセル、プラハ、ライプツィヒなどの各劇場の楽長を転々とし、指揮者としてキャリアを築く傍ら、作曲を行う日々が続く。36歳でウィーン宮廷歌劇場の芸術監督を務めるまでの時期に、歌曲集《さすらう若者の歌》、《子供の不思議な角笛》、そして交響曲3曲などを完成させている。さらにウィーン・フィルの指揮者も兼任することとなり、コンサートシーズン中は多忙であったため、主に夏季休暇にできる限りの速さで作曲していた。 41歳の時アルマと結婚。この結婚の前後、1899年から1907年にかけてマーラーは交響曲第4番から第8番を一気に書き上げる。時期を同じくして、シェーンベルクやツェムリンスキーとの音楽的交流も深めた。1909年にはニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者にも就任し、交響曲第9番も約2か月で完成させた。 長女の死や、アルマとの夫婦関係の破綻によってマーラーは心身ともに打撃を受けていたが、1910年自らの指揮で交響曲第8番を初演し、大成功となる。しかしその間もなく後、病に倒れ、翌年ウィーンで死去した。